2016年の身の上話と、東京に恋した私

2016年7月31日 日曜日 

私は誰も居ない会社のデスクで1人、荷物をまとめていた。

全ては1ヶ月前から考えていたシナリオの通りだ。ロッカーとデスクを空にし、中身を紙袋につめる。くだらない社内研修会の資料などのいらない書類は全てシュレッダーし、インターネットブラウザのキャッシュを全て消去。この数ヶ月、職場のパワハラとイジメに耐え闘ってきたが、それも今日でおさらばだ。セリーヌの黒いラゲージの中には担当医の診断書が入ってる。それを使い慣れた複合機でコピーして上長のデスクに置き、社内メールを送った。「明日からもう来ないよ、お医者さんが行っちゃいけないって言ったから」って。

 

かくして私の平穏な日々(仮)がやってきた。

そして私はこの日、32歳になった。

 

32歳になっていた。

 

職場の女営業が仕掛けた嫌がらせに端を発したパワハラと、春先から闘っていた。  毎日胃を痛めながら、彼女にすっかり騙されている総務部長とも話し合いを重ねた。労基署にも記録を残し、メンタルクリニックに通い、抗不安薬を飲みながら、iPhoneのボイスメモを起動させながら仕事をしていた。

 

「ばっかみたい」

ある朝通勤電車の中で一体なんて馬鹿げたことをしているのかと目が覚めた。

出勤直後、生理で腹が痛いと仮病を使って帰った。月に2回の生理休暇制度、もっと早く使えば良かった。損した。息苦しい通い慣れたビルから一歩出て思った。空が青い!って。

最高に気分が良かった。いい天気だ。折角こんな時間に自由の身なんだからモーニングでも行っちゃえと前から行ってみたかった喫茶店に入った。焼きたてのパンが美味しい。お客も店員さんも皆ニコニコしている。私はなんて馬鹿なことをしていたんだろう、時間の無駄だとその時やっと気づいた。そこからできるだけ小利口に辞める方法を調べ、実行に移したのが記念すべき誕生日だった。

 

 

一種の自己防衛だったのだろう。

6月から、毎月有給をとって東京へ行くようになっていた。

 

東京には沢山の知らないドアがあって、開ける度に何故かポジティブになれる。

華やかな喧騒の横に存在する陰を見せつけられる度に、前を向かされる気がする。

ミスチルの曲みたいに、「新しい何かが待っていて、きっときっとって僕を動かして」はいない。本能的に何か明るいものをハントしに出かけているのだが、不思議と期待もない。

 

東京は意地悪な街だって、32歳の私にはお見通しなのだ。